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2024年からの記憶と記録
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「手足が動く限りやりつづける」パキスタンと日本の架け橋となり続けた50年~安宅茂行インタビュー(1)
一人の人が一体どれほどのことを成し遂げることができるのか、お話しを伺って感嘆せざるをえない人がいる。 2024年にパキスタンのカラチで開催された世界文化演劇祭に日本代表として招聘された劇団Theatre Group GUMBOの公演は当地で絶賛され、大成功した。そして、招聘を支えてくれた一人の男性と出会った。 彼は、大阪に生まれ育ちながら、その半生のほとんどを遠く離れたパキスタンのカラチで過ごし、主にパキスタンと日本の文化交流に尽力し続けた。 今回の記事で紹介する、その人の名は安宅茂行さん。在カラチ日本国総領事館では、日本広報文化センターの副所長や総領事顧問を務め、現在はパキスタンの最大都市カラチにある火傷専門病院のバーンズ・センターでアドバイザーの任にある。 安宅さんとパキスタンの縁はどこからどのように始まったのか、まずは半世紀前の出会いから語っていただいた。 ■尊敬する先生に誘われパキスタンへ 帰国中の安宅茂行さんに2024年11月、大阪市内でお話しをうかがいました。 私が初めてパキスタンと関わりができたのは、1970年です。大阪万博の年です
Tetuya Futigami
「パレスチナ展」レポート
駅から降りると、雪が舞っていました。 灰色の雲は丘の上にのしかかっているように見えます。その坂道を登りながら考えたのは、ここから何千キロと遠く離れた国の事でした。その国の町は徹底的に破壊され、家を失った人々は、冬の寒空をどう過ごしているのでしょうか。...
Tetuya Futigami
演劇は変化をもたらすツールーAhmmed Shakiインタビュー(1)
2024年夏。バングラデシュで起きた学生デモは、弾圧により多数の犠牲者を出し、ついには15年間政権を握っていたハシナ首相は国外へ逃亡し、暫定政権が誕生した。この政変は世界の耳目を集めましたが、一体どんな問題があって抗議運動は生まれたのか、その現場で何があったのかを私たちは良...
Tetuya Futigami
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