「手足が動く限りやりつづける」パキスタンと日本の架け橋となり続けた50年~安宅茂行インタビュー(3)
- Tetuya Futigami
- 11月12日
- 読了時間: 11分
更新日:11月25日

(前回の記事)在カラチ日本国総領事館でパキスタンと日本の文化交流に尽力してきた安宅茂行さんは、民間レベルでの友好促進団体設立の必要性を痛感し、PJCAを設立。在職中の心残りを晴らすため国際ジャーナリズムシンポジウムを開催。安宅さんの活動は、より広く、より細やかなものになっていく。
■100%無料の火傷治療センター
――安宅さんのキャリアで、これまでのお話しと少し毛色が違うように思えるのが、フレンズ・オブ・バーンズセンターのプロジェクトです。これは火傷専門の治療機関なんですよね。
私が勤めるバーンズ・センターは官民共同事業なんです。官というのは、シンド州政府で、民はNGOのフレンズ・オブ・バーンズ・センターです。このセンターでは、火傷の治療が100%無料です。薬代、治療代、皮膚移植を含む出術代、入院費、血液バンク、理学療法、全て無料です。付添人の食事も提供しています。
――手厚い施設ですね。なぜそんなセンターができたのでしょうか?

きっかけはパキスタンの核実験なんですよ。パキスタンがイスラム国として初めて核実験をしたんですね。そうすると、世界各国から経済制裁を受けました。やはり経済的に政府は困まり、政府の企業は立ち行かなくなってきた。それで民間に協力を求めて、官民共同事業を推奨したわけです。
政府はパキスタン連邦商工会議所に話を持っていき、その中の一つの委員会の委員長だった方が目をつけたのが、火傷専門の病棟でした。市の病院に火傷の病棟があったのですが、非常に酷い状態だったので、そこを独立させようというので始まったんです。2004年のことです。だから私が帰ったら20周年事業を開催しなければならないのですが(笑) それで当時、アジアで一番大きな火傷専門の治療センターができました。66病床ですね。
ただ、官民共同事業なのですが、実際の運営はNGOがやっているわけです。政府は場所として、当時使われていなかった歴史的建築物のビルを提供しました。これは150年ぐらい前にできた、イギリス植民地時代にイギリス人が建てたビルでした。政府はこのビルをそのままNGOに渡し、NGOが多額の資金を集めて病院に改造しました。今でもガス代、電気代、水道代及び薬の一部等だけ政府が負担しています。
――では、実際の運営費や人件費は?
NGOです。スタッフの70%がNGOで、30%が政府です。それで資金集めが大変なんです。政府が資金援助しないですからね。ただ素晴らしいのは、やっぱり民間の方で困っている方を助けようという方、慈善家がパキスタンには非常に多い。
――ところで、パキスタンでは火傷自体が多いのでしょうか?
多いですよ。実は我々には、火傷患者の治療以外に、二つの大きな活動分野があります。一つは資金集め。もう一つは啓蒙活動です。啓蒙というのは、火傷は予防できますよ、ということを啓蒙しています。火傷の原因を調べると、もうほとんどが無知。つまり火傷のことについて何も知らないということに原因があります。もし火傷をした場合どうしたらいいか、これも知らない。だから私たちは積極的に啓蒙活動に取り組んでいます。学校に啓蒙のための医師から成るチームを送っています。
たとえば、パキスタンの家では大体地下槽に水を入れるんですよ。そしてモーターで上のタンクへ移してそこから水を使う。パキスタンでは、水の問題が深刻だし、停電も多い。時々、地下槽に水がどれだけ溜まっているかを入って見に行く時に、懐中電灯で行けばいいのに、ロウソクで行くんです。地下槽には引火しやすいガスが溜まりやすいので、ロウソクを持って入るとそこでガスに引火して一発でドカーン! 地下にはガスが溜まりやすいというのも知らない。
また、子どもの火傷も多いんですが、大体台所で火傷します。だから台所には子どもを絶対連れて行くなと。更に女性の服装が引火しやすい。女性はドゥパッター(幅広のスカーフ)をつけるんですが、それを台所に入る時は外すように言っているんですが、なかなか外さない。本当に残念ですけれど。

――啓蒙が必要なわけですね。
日本では考えられないことですが、火傷の患者に電気泥棒がいるんです。電気泥棒は11000ボルトの高圧線に裸電線をかけて電気を盗みます。この時に感電したら、まず命を亡くすか、手足を切断しないとだめなんです。骨までいっちゃうんで、中から腐ってくるんです。命を助けるために、手足を切らないといけなくなる。
さらに社会的にショッキングなのは、酸ですね。結婚を申し込んで断られると、憎さがあまって彼女が一生結婚できないように酸をぶっかける。酸の場合はひどいですよ。奥までいってしまうんで。数は少ないですが、非常に社会的にショッキングなニュースです。
――どちらもショッキングです。
火傷した場合、どうするのかというと、パキスタンに非常におかしな神話があって、ファーストエイドとして歯磨き粉を塗りなさい、というのがあります。それはダメですよ。水道の水で20分ぐらい冷やしなさいと言うんだけれど、すぐに歯磨き粉に頼っちゃう。それもどうにか辞めさせる啓蒙をしているところです。
本当に火傷はひどいですよ。我々は100%火傷をしても収容します。でも普通の病院は収容してくれないんですよ。助かる見込みがないから無駄で、しかも(病院の)死亡率が高くなってしまうので、受け付けないんです。でも我々は収容します。というのは、100%火傷をしても、すぐに亡くならないですからね。何日か苦しんで亡くなるんです。彼らを我々が拒否するとどこへ帰るんですか。うちに帰れないし、うちに帰ったって家族は何もできない。我々は全部収容します。
我々の目標はいかにその死亡率を下げるかです。大体、入院患者の3割が亡くなるんですよ。10人中3人。辛いですよ。おまけに生き残っても一生後遺症が残る危険性もありますしね。
我々が力を入れているのは、治療を施し、まず命を取りとめて、リハビリテーションをし、回復した後できるだけ早く社会復帰してもらうことです。だから、最近バイオアームというのを導入しています。脳で操作できる義手です。非常に高価ですが、資金を集めて実施しました。まだ一例だけですが。これからどんどん増やしていきたいと思っています。最近ちょっと安くなっているんで、できないことはないかと思っています。
――パキスタンの医療レベルはどうなんでしょうか? お医者様やリハビリをする理学療法士さんの数とかは?
海外で勉強して帰ってくる方も結構いますので、お医者様のレベルはそんなに悪くないと思います。それよりも、一般的な衛生観念とか、そういう所をもっと改善していかななければならないと思います。本当はアニメーションを作りたいんです。啓蒙には、アニメが一番有効だと思うんですよね。あまり教育が普及していない地域のところでね。色々検討してみたんですが、経費的に今のところ、ちょっと手がでません。
それと、やっぱり日本の病院と提携したいですね。事例が違うでしょうけれど、たとえば啓蒙するにしてもですね、日本でも啓蒙活動をしておられるんじゃないかと思うんで、そういうものを情報交換したいですね。
■将来の夢。パキスタンに日本庭園、そして姉妹都市の提携

――今後の活動については、何か計画されていますか?
いくつかあります。ひとつは、PJCAで大きなプロジェクトがあるんです。
それはカラチに日本庭園を造るという事業なんです。しかしながら、これがもう全然進まないので、本当にどうしていいのか頭を抱えています。こればかりは、パキスタンの建築家の方に、作ってくださいって言ったって無理ですから。日本の造園家の方に来ていただきたい。
PJCAは謝金までは出せないのですが、航空券及び現地経費は負担します。日本の専門家の方に1度見に来てほしい。カラチ市の市長さんは、5エーカーの土地を出す約束をしてくれています。
日本庭園専門家で、謝金なしでやってくれる方はさすがにいかないだろうと思っていますが、どなたか定年退職された方とかで、何か建設的でやりがいのあることをしたいという方はいらっしゃらないでしょうか。資金集めをするにしても、どれだけしなきゃいけないかがわからない状態なんです。
――5エーカーともなると、かなりの広さになりますよね。
市長はもっと広くても大丈夫だと言っていますが、大きすぎてもねぇ。市長さんが言っているのは、海の近くの土地ですので、そこでできるのかも心配です。市長は、そこが良くなければ他の場所があるとも言っています。完成後のメンテナンスをのこともあるので、植物や石・岩などの材料はできるだけ現地のものを使用する予定です。
そもそもカラチというのは、大都会にも関わらず、政治的に無視されている町なんです。というのは、大体みんな職を探し求めて地方からカラチにくる。出稼ぎに来ているので、自分の町だと思っていないわけです。カラチはシンド州の州都なんですけれども、州政府の大臣たちの票田もカラチじゃないんですよ。田舎なんです。だから、施策も自分たちの票田を優先するので、カラチはないがしろにされるんです。そういうこともあってカラチには公園も少なくて、市民の憩いの場というのは殆どないんです。
そんな中、日本人の手で日本庭園を造り、カラチ市民に憩いの場と家族が安心して楽しめる庭園を提供することができれば素晴らしい事だと思うんです。
――カラチの人のためにすごくなりますね。文化交流プラスアルファですね。
あと一つですね。長年の夢というか、まだ出来ていないことがあります。パキスタンの都市と日本の都市の姉妹都市の提携をやりたいんです。
――姉妹都市ですか。日本のどこの都市と?
念頭にあるのは、大阪府の和泉市ですね。パキスタンの方がいるんです。その方が和泉市で、毎年日本とパキスタンの文化交流イベント(シンド文化祭り)を和泉市と協力して開催しているんです。その方が、ハイデラバードというカラチから160キロほど離れた、シンド州で二番目に大きな町の出身なんです。だからハイデラバードと和泉市で姉妹都市の提携ができないかな? でも本当を言えばカラチでもやりたい。カラチと堺市とかではできないかな?
――堺は港町なので、港町系のところと姉妹都市になっています。アジアだと友好都市が中国の連雲港市とベトナムのダナンですね。堺市と東南アジアは、南蛮貿易の結びつきがあったので、そんな歴史的な結びつきがあるといいですね。
カラチも港町ですよ。姉妹都市を提携できたら、地方都市レベルでの文化交流も促進できると思います。
パキスタンには非常に古い歴史があります。たとえばシンド州には古代インダス文明に端を発するシンド相撲という日本の相撲のようにまわしをつけてとる相撲があるんです。土俵はないんですが。総領事館時代に、シンド相撲を日本へ送ることができないかと色々やってみたんですが、ダメでしたね。
――そうなんですか! 実は堺市は学生相撲の聖地なんですよ。大正時代から、全国学生相撲大会が開催されて、今も続いています。日本でも珍しい土俵が常設されている大浜公園相撲場が会場になっています。日本で最初に相撲をとった野見宿禰が、勝利した褒美として堺の石津神社の神主になったという言い伝えもあり、堺と相撲との縁は深いですよ。堺市にシンド相撲を呼んで、交流を深めたら姉妹都市になるかもしれないですね。
それにしても、安宅さんはやりたいことがつきませんね。
手足が動く限りはやりたいと思います。一番やりたいことは、両国の人々の交流を促進することです。文化交流を介しての両国相互理解及び友好促進には、人の交流促進が肝要だと確信しています。前述のように、個人の責任で来られる方は大歓迎です。学生さんたちは先生の紹介状さえあれば、我が家にお泊めします。
「お前は何もしてないじゃないか」そんな恩師カシュフィ先生の一言で走り出した安宅さん。パキスタンと日本の間にどれほどの橋を架けたのか、その影響は計り知れないのではないでしょうか。
2025年には、昨年カラチで開催される世界文化芸術祭にTheatre Group GUMBOが日本代表として招聘されたのに引き続き、堺国際市民劇団が招聘されるのにも尽力いただきました。
安宅さんは、その歩みを止めることはなく、未だに新しいプロジェクトに挑み続けています。記事中にあったように、日本の病院との提携、火傷の啓蒙のためのアニメーションの制作、日本庭園の造園、姉妹都市の提携。少しでも興味をもたれた方は、ぜひ以下の組織を通じてでも安宅さんにコンタクトをとってください。
パキスタン・日本文化協会(シンド):https://pjcasindh.com/
フレンズ・オブ・バーンズセンター:https://burnscentre.org/



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